日本語のドレスコード

目次

2013年を振り返る。

まもなく今年も終わる。

いろんなことがあった。
何度も周囲と衝突し、苦しみ抜き、ひがみ、やっかみ、また衝突した。
なにをどうすればいいかなんて全くわからなかった。

とにかくぼくは考えた。
くだらないと思うことを、くだらなくなくなるまで考えた。
認めたくないことを、認めざるを得なくなるまで反芻(はんすう)した。
来る日も来る日も、つらい思いばかりだった。

そして、ぼくはその思いすべてに甘いメロディをつけて、歌った。

これがぼくの仕事だ。
それらは『バンド・デシネ』という名をつけられ、今では大勢の人のモノとなっている。

いい曲をたくさん書いた一年。

なんだ、いい一年だったんじゃないか。

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ところで、ぼくがどんな状態であっても、メンバーはぼくを信じ、助けてくれた。レコーディングの過程で、ぼくらは何度励ましあっただろう!

どうかきみは、彼らを愛してほしい。彼らほど愛すべき男なんてそうはいないのだから。

ぼくが今年撮ったビデオは、そんなことを思いながらカメラを回した。

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なにより思い出深いのは、ツアーだ。
ツアーに始まり、ツアーで終わった一年だった。

年初に行われた「TOUR 1954」で、バンドは日を追うごとに進化していった。自分たちがそれに驚きながら、毎晩演奏していた。
きっとこんな体験は、結成したばかりの今しかできないんだろう、と4人ともが思っていた。

ところが、同じことは先の「Kicks TOUR」でも起こった。
二度目なら、もうなにも驚くことはない。そう、これがドレスコーズの進化のスピードなのだ。

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今日、明日の2本のカウントダウン・パーティーが、ぼくらの今年最後のステージとなる。

いくつバンドが出たって、きっとぼくらにかないはしない。

まだ少し早いが、きみに今年最後の握手をおくる。
ア・ハッピー・ニューイヤー、どうぞよいお年を!

ドレスコーズ 志磨遼平より 愛をこめて


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秋に、マルがノートに描いた絵。

 

2013年12月30日 2時18分

「バンド・デシネ」最終公演の思い出。

取りかかっている2つの作業も、やっとメドが立ってきた。
これでようやく、年の瀬ムードにひたれるというものだ。

そういえばきみに見せたいものがいくつかあったことを思い出した。
先日のツアーファイナルで、こんなものを頂いたのだ。

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まずはこれ。

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ツアーファイナルには、いつもありがたいことにたくさんのお花を頂くのだが(そのうちの大きなものは会場入口に並べて飾られる)これを見つけた時は、感激のあまり飛びはねてしまった。

なんたって、これはただの花輪ではない。
『ガラスの仮面』の「大都芸能」から届いた花輪なのだ!

しかも、この速水真澄社長の個人名で贈られる花は「芸能人なら誰もがもらうことを夢見る」と言われる一流の証なのである。

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そして終演後届いたのは、ぼくが4年越しでコラムを連載している「TV Bros.」の人気企画『ボルタ美術部』名物、ジャケ弁。

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これが

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こうなって

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これが出てくる

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裏はちゃんとこうなっています



2013年12月29日 5時51分

クリスマス・イブ。

またヘンな時間に眠ってしまった。
ツアー終了以来の昼夜逆転生活は、もうすぐ一巡して元に戻りそうな勢いだ。

なぜここまで生活リズムが狂ってしまったかというと、少しばかり大変な作業を2つ、並行して進めているからである。

こいつのおかげで、眠ってもおかしな夢ばかり見る。
古い友人や昔の大切だった人と、つい最近出あったばかりの人が同じシーンに登場するような、時系列がてんでバラバラの夢。

センチメントや興奮、愛と感動のロマン!怒りだってなくはない。
まったくここ数週間のぼくは感情が不安定である。ひとりで泣いてみたりもする。ただただ音楽に振り回されてきた、ぼくの人生。

ふと携帯電話を見やると、もうクリスマス・イブだった。

今日明日くらいは静かに、おだやかに過ごそうと思う。


どうかすべての人が、幸せな夜をすごせますように!
この素晴らしい一年を、お互いに振り返りながら。

Merry X'mas きみをあいしてる!

ドレスコーズより


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2013年12月24日 3時53分

ブッカホリック。

新宿ではまったく誰もが幸福そうな、13日の金曜日に!

ツアーを終えてからというもの、10時間起きては10時間眠って、というような生活をくり返してたぼくは、ようやく堕落にもあきて外に出た。

ぼくは近しい友人と「銀座火曜会」という集まりを催していて、それはただ銀座に集まってぺちゃくちゃとおしゃべりを続けるだけの会なのだが、今週はまずそれに出席した。

当然、今週のテーマは終わったばかりのぼくらのツアーについてで、おどろくべきことにぼくは夜の10時から朝の6時までひたすら話し続けた!

あくる日は某音楽誌の取材を4人で受けた。
やはりツアーを振り返る座談会で、これも3時間近くにわたった。

それでようやくアタマが空っぽになったぼくは、さっそく次のなにかを探しに新宿の書店へと出かけた。

見わたす限り一面の棚にぎっしり詰まった背表紙を、じろじろと左から右へ、上から下まで。
ぼくはこの人生を、書店やレコード屋でのこの「じろじろ」でほとんど終えるんじゃないかしら。

ようやく3冊ほどを引き抜いて、レジへ。

すると、ロッキング・オンの最新号がふと目に入った。
ルー・リード追悼号。

表紙右上には澁澤龍彦よろしく背徳的なムチと仮面のデザインが施されており、思わず購入。

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突然だが、ぼくは幼少期から漫画に執心していて、これはいろんな所で話しているエピソードだが、物心ついた時にはすでに数冊の「愛読書」があった。

魔夜峰央『パタリロ』、永井豪『デビルマン』(妖鳥シレーヌ編)、それに楳図かずおと日野日出志のホラー短編集いくつか、である。
これらは気がついた時には手元にあったものだから、ぼくは勝手に両親の趣味だと思い込んでいた。

しかし、のちのち聞いてみれば、すべてぼくが買ってくれとせがんだ漫画だったらしい。

なんだ、つまりぼくは生まれもって倒錯してたんじゃないか、という話。

そしてティーン・エイジャーになってからは怪奇・耽美モノの小説にどっぷりだった。江戸川乱歩、夢野久作、澁澤龍彦、寺山修司。

なにが言いたいかというと。
ぼくほどルー・リードに救われた男はいないんじゃなかろうか。

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余談だが、裏表紙のアブリル某の写真が表紙のルーとよく似ているのは偶然だろうか。

2013年12月13日 23時5分

More Pricks Than Kicks TOUR(後編)

名古屋は本ツアーの折り返し地点である。

前回(『TOUR 1954』)はセミファイナルとして同じ会場に訪れ、ヒジョーに熱のこもったライブになった記憶があるが、やはり今回もここがターニングポイントとなった。

自分の中での「ライブ」の概念みたいなものが、ここで少し変わったのだ。

それは自分に対し軽薄になる、ということ。
そしてオーディエンスの中に感動を見つける、ということ。

若さが「純潔」であるなら、それに対する「不貞」こそが遊びの醍醐味かもしれない。
なんてことを思うようになる。

ぼくにとって、ロックンロールは「遊び」たりえるか?

ぼくがツアー中、きみに話して聞かせた“かなしみと踊る”というこのツアーのテーマが、実はこれと同義だったりする。

「運命への反抗」をテーマにした20代。
ならば30代のテーマは「運命を懐柔する」ことかもしれない。

恋愛もまた、然り!

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なんの話をしているのかわからなくなってきた。
ツアーの話である。

翌日は高松。
“シネマ・シネマ・シネマ”を歌うのに、これ以上ふさわしいシチュエーションもないだろう。
この会場は元映画館である。銀幕の前に立ってのステージ。

いつも来てくれていた女の子、はやくよくなってまた観に来てほしい。

次の日の朝、雲ひとつない冬晴れ。
福岡へ向かうハイウェイで、命日だからとジョージ・ハリスンを聴いた。

“ヒア・カムズ・ザ・サン”、中国自動車道の紅葉。
なんともセンチメンタルな風景!

夕方には到着、ひとりで散策。
「やまちゃん」からまんだらけ、安西水丸さんの「青の時代」(初版)を見つけて購入。

翌日の本番、はじめて訪れる会場。福岡Drum Logos。
“(This Is Not A)Sad Song”で泣く。
ステージから見る、あまりに美しい光景。
歌うということは、なんて切ない行為だろう!

広島
このツアー最後の小バコ。
思う存分、最前列の男の子、女の子とおでこを突き合わせて歌う。

手紙をくれた少女、自分はダメだなんて思わないで欲しい。
ぼくを見つけてくれたなら、それはぼくととてもよく似ているということだ。

セミファイナル、大阪。
今までで最高の出来だったと思う。この日も魔法が使えた。

真っ暗な会場の天窓から差し込む夜のネオン、
とてもよく似たぼくら。

この日、実はぼくの両親が来ていた。
小さい頃の好物を差し入れでもらう。

お洒落をした父を見るのはひさしぶりだった。

そしてファイナル。
いろんな思い出があるライブハウス、来年早々には取り壊すという。
思えばここ渋谷AXに来る日は、いつだって晴れていた。
会場裏口の広い駐車場の光景が好きだった。

スタッフの「…それでは、開場しまーす!」の声ととともに、楽屋のモニターに客席が映し出される。
まだ誰もいないフロアに“バンド・オン・ザ・ラン”の第一楽章が流れ出す。

そして曲が転調し、ちょうどアコースティックギターのストロークが開けるところでキッズが次々にフロアへと駆け込んで来た。

このツアーを象徴するような美しいシーン。

きっと今日も、いいステージになる。

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ぼくはこのツアーを、人生の黄金時代としてきっと何度も思い出す。

そして。
愛と栄光の、物語はつづく!


このツアーに参加したすべての人に、握手を。
きみをあいしてる。


ドレスコーズ 志磨遼平


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2013年12月10日 18時33分

More Pricks Than Kicks TOUR(前編)

 
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ツアーが、終わった。
あまりにも素晴らしいツアーだった。

ファイナルを終えてもう丸二日がたって、ぼくはただじっとこの二週間あまりのいろいろを思い出したり眠ったりして過ごしているが、メンバーの誰もコラムを更新していないことから察するに、みんな同じような気分の中にいるのだと思う。(後記:スガさまがまったく同じタイミングでコラムを更新していた。)

いわゆるひとつのもぬけのカラ、だ。
なにも手につかない。

たとえば地方のホテルで朝、目を覚まし、まずノドの具合を確かめようと、おそるおそるエヘン、とセキばらいをひとつする。

コン、なんてかすれたセキが出ようものなら、たちまち目の前は真っ暗になる。

そしてシャワーで温めながらノドの皮をぐいぐいひっぱってマッサージしつつ、前夜の反省を始める。都合、長風呂になってしまう。

―そんなことはしばらくしなくていいのだ、と今朝シャワーを浴びながら思う、ということ。

ツアーが終わったということ。

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冷たい雨が降る中を新潟に向かってバンドワゴンは出発した。
ぼくは数日前に東京ドームで観たポール・マッカートニーの素晴らしいコンサートの余韻から、まだ抜け出せないでいた。

(彼一人の来日のせいで、11月18日以降にわが国で行われるすべてのエンターテイメントのハードルは上がったと言えるだろう!)

車内に“バンド・オン・ザ・ラン”が流れる。
気付けば雨が上がっていた。

会場に到着する。先発組のスタッフもみんないい表情をしている。

この会場には、ステージの上(!)中央やや左寄りになんとも邪魔な柱がある。そこにガムテープで大きく「DC」と書いた。
だって今日、ここはぼくらだけのものだ。

初日の幕が上がる。
のっけから、ツアーの勘を取り戻すには十分すぎるほどの、すさまじい盛り上がりだった。
アンコールまで終え、引っ張られて裂けたTシャツも投げ込んで、終了。

仙台でも、あまりの盛り上がりに我を忘れて、タンバリンまで客席に投げ込んでしまった。ぶつけて怪我などさせては大事である。反省しきり。
まあつまり、なにからなにまで捧げてしまいたいのだ。

札幌。このツアーで何度も訪れた、ある感覚。
空間を完全に掌握して、まるですべてが思い通りになる魔法のような感覚。というのが、エンターテイナーには、ある。

ぼくは目が合った男性客の肩にひょいと飛び乗って、そのまま最後は満員のフロアのど真ん中で歌った!
(聞いた話だとこの男性客は終演後、フロアでみんなに胴上げされたそうだ)

ここでバンドは一度帰京。TBSでリリーさんと中居くんの音楽番組の収録を済ませ、次は西へと向かう。

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どうも長い日記になりそうだ。
続きは明日。

写真は函館にて。

2013年12月09日 19時0分

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