名古屋は本ツアーの折り返し地点である。
前回(『TOUR 1954』)はセミファイナルとして同じ会場に訪れ、ヒジョーに熱のこもったライブになった記憶があるが、やはり今回もここがターニングポイントとなった。
自分の中での「ライブ」の概念みたいなものが、ここで少し変わったのだ。
それは自分に対し軽薄になる、ということ。
そしてオーディエンスの中に感動を見つける、ということ。
若さが「純潔」であるなら、それに対する「不貞」こそが遊びの醍醐味かもしれない。
なんてことを思うようになる。
ぼくにとって、ロックンロールは「遊び」たりえるか?
ぼくがツアー中、きみに話して聞かせた“かなしみと踊る”というこのツアーのテーマが、実はこれと同義だったりする。
「運命への反抗」をテーマにした20代。
ならば30代のテーマは「運命を懐柔する」ことかもしれない。
恋愛もまた、然り!
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なんの話をしているのかわからなくなってきた。
ツアーの話である。
翌日は高松。
“シネマ・シネマ・シネマ”を歌うのに、これ以上ふさわしいシチュエーションもないだろう。
この会場は元映画館である。銀幕の前に立ってのステージ。
いつも来てくれていた女の子、はやくよくなってまた観に来てほしい。
次の日の朝、雲ひとつない冬晴れ。
福岡へ向かうハイウェイで、命日だからとジョージ・ハリスンを聴いた。
“ヒア・カムズ・ザ・サン”、中国自動車道の紅葉。
なんともセンチメンタルな風景!
夕方には到着、ひとりで散策。
「やまちゃん」からまんだらけ、安西水丸さんの「青の時代」(初版)を見つけて購入。
翌日の本番、はじめて訪れる会場。福岡Drum Logos。
“(This Is Not A)Sad Song”で泣く。
ステージから見る、あまりに美しい光景。
歌うということは、なんて切ない行為だろう!
広島
このツアー最後の小バコ。
思う存分、最前列の男の子、女の子とおでこを突き合わせて歌う。
手紙をくれた少女、自分はダメだなんて思わないで欲しい。
ぼくを見つけてくれたなら、それはぼくととてもよく似ているということだ。
セミファイナル、大阪。
今までで最高の出来だったと思う。この日も魔法が使えた。
真っ暗な会場の天窓から差し込む夜のネオン、
とてもよく似たぼくら。
この日、実はぼくの両親が来ていた。
小さい頃の好物を差し入れでもらう。
お洒落をした父を見るのはひさしぶりだった。
そしてファイナル。
いろんな思い出があるライブハウス、来年早々には取り壊すという。
思えばここ渋谷AXに来る日は、いつだって晴れていた。
会場裏口の広い駐車場の光景が好きだった。
スタッフの「…それでは、開場しまーす!」の声ととともに、楽屋のモニターに客席が映し出される。
まだ誰もいないフロアに“バンド・オン・ザ・ラン”の第一楽章が流れ出す。
そして曲が転調し、ちょうどアコースティックギターのストロークが開けるところでキッズが次々にフロアへと駆け込んで来た。
このツアーを象徴するような美しいシーン。
きっと今日も、いいステージになる。
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ぼくはこのツアーを、人生の黄金時代としてきっと何度も思い出す。
そして。
愛と栄光の、物語はつづく!
このツアーに参加したすべての人に、握手を。
きみをあいしてる。
ドレスコーズ 志磨遼平