ひとりになって初めてのツアーが終わった。
バンドをふたつも壊した男にとってあまりに相応しいタイトルを冠したこのツアーは大阪、名古屋、東京の全3公演だったが、ステージを降りたあとの満足感はいつも、これまで感じたことがないほどに大きいものだった。
それはこのショウが毎回、観客の感情を逆なでしていることが確信できたからで、ぼくがやりたいこととは、つまりそういうことなのだ。
「喜怒哀楽」のすべての感情を逆なでること。
それが人生において忘れられない経験となること。
他人の理解を拒否すること。
つまり、ぼくが「ロックンロール」にされた仕打ち、そのもの。
最終公演が終わって2日経って、「音楽でこんな気分になったのは初めてです」といったメッセージをたくさんもらうが、それはあたりまえだ。ぼくが見せたのはただのライブじゃないし、ましてや、そんじょそこらのバンドマンやイベンターが気軽に開いた「参加型レジャー」のような空間では決してない。ぼくのはらわたをかっさばいて、きみの前にすべて並べて見せたのだ。
そして、そんなものこそぼくは音楽と呼ぶにふさわしいと思っている。
たのしかった、の一言で済まされてたまるか。
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そんな、あまりに濃密な内容だったがゆえに書き残したいことはたくさんあるが、説明的になるのも野暮だし、今はいくつかに留めておこうと思う。あとは先日発表になった次のDVD作品で、深いところまで言及できればと考えています。
まず、オープニングの演出。
お気づきの方もいるかもしれないが、あれはトーキング・ヘッズというバンドが84年に発表した『ストップ・メイキング・センス』というライブ映画の冒頭のパロディだが、3台のラジカセを並べて、それぞれからドラム、ベース、ギターを鳴らして歌ったのは、ぼくの中の「バンドってなに?」という大きすぎるクエスチョンを観客と共有したかったからで、ぼくがただ歌いたいだけの男ならバックバンドなんてあれで充分なハズだ。メンバーと別れ、機械とやるしかなくなった男、というとびきりの皮肉を、オープニングではやってみた。
ふたつ目、選曲について。
これはぼくのレパートリーの中から「ひとりで世界と対峙すること」をテーマに書かれたものを、新旧問わず並べた。今歌うべき歌は、すでに昔のぼくの手によっていくつも書かれていた。
自分の持つレパートリーをクローゼットの洋服に例えれば、ぼくのバンド名はいよいよちがう意味を持って響いてくるのがおもしろい。
余談だが、“ゴッホ”で使用したトラックはぼくが初めてメンバーに聴かせたデモで使用したもの。
そして、今回のツアーに参加してくれたミュージシャンについて、最後に記す。
牛尾健太(Gu.)と前越啓輔(Dr.)のふたりは、ぼくがデビューするずっと前からの仲間であるバンド、「おとぎ話」のメンバー。
牛尾はジョージ・ハリスンとピート・タウンジェントとジミー・ペイジとエリック・クラプトンを足して4で割った“ひとりブリティッシュ・ロック”みたいなギタリストで、前ちゃんは「歌うようにタイコを叩く」ことに関しては日本で一番の男だ。
自身の新譜のリリース週に関わらず、ぼくの地獄に付き合ってくれたおとぎ話には感謝してもしきれない。命の恩人だと思っている。
そして有島コレスケ(Ba.)は『1(ワン)』のレコーディングにも参加してくれた天才イケメンベーシストで、おそらくKenKenやハマ・オカモトと並んで日本では若手トップクラスのミュージシャンだと思う。ちなみに文豪・有島武郎は彼の曾祖父さんです。
鍵盤やガット・ギターで参加してくださったのは、ぼくの近作2枚を共作した長谷川智樹先生。23歳上のぼくの理解者。どうしてもみんなに紹介したくて、無理を言って今ツアーにも同行していただいた。
今、ぼくは失恋したみたいなひどい喪失感にぽっかりやられていて、それはツアーにむけてのリハーサルが始まった12月末からのわずかひと月のうちに、いかに彼らのことを愛してしまっていたかのなによりの証拠だ。ひどくさみしい。いつかまたこのメンバーで演奏できることを切に願う。
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そんな素晴らしいツアーが、DVDになることが決まった。内容はこのツアーのすべてにとどまらず、ぼくと丸山康太、山中治雄、菅大智が歩んだ2014年の軌跡も含めて収録したいと考えています。
編集作業はこれからスタート。どうか期待して待っていてほしい。