12月が、2014年が終わろうとしています。
お変わりございませんか、と打とうとしてキーボードを叩く手が止まったのは、これじゃまるで「お変わり」のあることがさも悪いことかのようで、ぼくが昔歌った歌に “星の王子さま(バイオリンのための)” という曲がある。
大人になるのが悪いなら
ごめんね でも愛してる
すべて忘れてしまうなら
ごめんね でも愛してる
この一年でぼくの犯した罪がどれほどのものかはわからないが、まあ世俗の道徳観で言って「善人」と呼んでいい範疇にないことだけは確かだろう。
ふと思い出したことがある。
今年の初めに、バンド・銀杏BOYZが峯田氏だけを残して崩壊し、身代わりのように彼らから差し出された『光のなかに立っていてね』という美しい作品があった。
それを聴いた時、ぼくは興奮や感動より先に「峯田和伸という人は、もう一生音楽をやっていくことになるんだな」なんて間の抜けたことを、まず思ったのだった。
ロックンロールバンドとは青春のオーバーランである。それに身を捧げようとすれば必ずどこかで、自分がピーターパンか浦島太郎よろしく「年をとっていない」ことに気付く。というか気付かないと、やばい。
そこで本人は自発的、というよりは周りに気付かされるカタチで、初めて音楽と向き合う。自分がまだ歌うべきか、その歌を広く届けるべきか。向き合うというよりは、音楽の方から選択をせまられる。
「絶対やりたい」では音楽は首をタテに振らない。
「やるべきだ」と音楽から勧められて、初めて時間が与えられる。
子供はいつだって「絶対」を望み、それが「相対」に打ち勝った時、人はいよいよ自分の選んだ人生に確信を抱くのだ。どうやら俺はまだやれそうだ、と立ち上がって、ひとつ年をとる。
騒がしいパーティーから、抜け出せる。
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今年のアタマの時点では他人事でしかなかった峯田氏の境遇が、まさか半年後に自分の身にも降りかかろうとは思ってもみなかった。
しかし、自分のことを棚に上げて言うが、今年は他にもandymoriやthe telephonesと活動の停止を選んだバンドが実に多い一年だった。よく聴いた新譜もTODD TERJEやKINDNESS、坂本慎太郎さんとソロ・アーティストかユニットものがほとんどだった。
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さて、先日発売になった拙作「1」が好評を博している。
ゴッホじゃやなんだ、とのたまって明けたこの一年に、バンドの結末とこの評価を思うといささか自嘲気味にならざるをえないが、はたしてぼくは音楽から選ばれる人間になれるだろうか。
年が明ければ、すぐにツアーのリハーサルが始まる。