日本語のドレスコード

「ゴッドスピード・サマー・ヒッピーズ」にむけて。(第一回)

8月17日に開かれるぼくらの日比谷野音公演について、これから少しずつここで話していきたい。

まずこの祭典を、ぼくは“ゴッドスピード・サマー・ヒッピーズ”と名付けた。

きみとぼくらで作る、真夏の祭典だ。

ゴッドスピード!って語感がなんだか暴走族みたいで超カッコいいが、これは実は「神の祝福」という意味の言い回しらしい。「Godspeed」でひとつの単語なのです。

つまり直訳すると、「夏のヒッピーたちに神の祝福を!」となる。

じゃあ「ヒッピー」てなーに? となると、この説明がなんともムツかしい。
これ、長くなるので理解したい人だけ読んでください。

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そもそも「ヒッピー」てのは1960年代後半のアメリカで生まれた思想で、伝統や制度といった古い概念にとらわれず、もっと正直に、人間本来のあるべき姿をとり戻すべきじゃないの? という主張と、やっぱり『旧体制=オトナや現代社会、への反抗』てのが根底にある。

なので彼らは定住地や仕事を持たず、旅を続けながら質素な生活を送り、同じように自由で新しい概念から生まれた音楽や文学を愛した。伸ばしっぱなしの長い髪は、常識や文明社会への抵抗のメッセージだった。

その頃の社会情勢はというと、ベトナム戦争激化の一途、他の国でも同時多発的に革命運動なんかがぼんぼん起こってたもんだから、そういうのよくないです!という世界中の平和主義な若者はこぞってこの思想に共鳴、彼らが好む音楽や本、ファッションとともに一大ムーブメントとなる。

するとやっぱりアレとコレをカン違いして、「いやー、やっぱ仕事とかしてちゃダメっしょ。戦争とかやめてさ、歌おうよ。マジで」みたいな若者が大量発生するのは想像に難くない。
結果、へらへらとピースサインを繰り出しながら自然食品食ってるだけで戦争が終わると信じてたアホな輩は成長とともに突きつけられる現実にほとんど敗北し、文明社会にすごすごと帰結する。

こうして第一次ヒッピームーブメントは終息したのだ。世界が夢みた理想の、敗北であった。

ぼくは、上に書いたようなヒッピー思想に1ミクロンの共感も覚えない。勝とうとする姿こそ人間のあるべき姿で、その勝利の歴史こそ文明だと思っている。

だけど美しいのは、無謀にもそれを信じた若者たちの、敗北の涙だ。

成長という残酷な現実と向き合った少年少女がみた、短い夢だ。

変わらない世界に絶望し、それでも生き続ける自分に失望する。
その敗北から、70年代アメリカン・ニューシネマの名作の数々が生まれることとなる。

しかし、夢は再び蘇える。
80年代後半に、今度はイギリスで。

戦争も途絶え、かわりにただただ続く平坦な日常の中で、新しい若者たちは今さら世界平和なんて望まなかった。
代わりに望んだのは、ずっと続く希望、ずっと続く興奮、そのための「終わりのこない」音楽、そして。

ステージと客席の垣根を取り払うことだった。

アシッドハウスの誕生だ。

彼らはスポットライトをステージからダンスフロアに移し、自らが主役となった。
観客は参加者となって、「レイブ」という名の理想郷を出現させたのだ。

“サマー・オブ・ラブ”と呼ばれた67年になぞらえて、この新しいムーブメントは「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼ばれた。

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以上、極私的『ヒッピー論』でした。あくまで私的な観点からなので、ちゃんと知りたい方はそういった文献にあたっていただくことをオススメします。まちがっても卒論にコピペしたりしないよーにね!

しかし、こうやってまとめてみると、我ながら合点がいくな。うん。

「ヒッピー」てのは、敗北を忘れてまた現実に立ち向かう、おろかで美しい若者たちの姿なのかもしれない。

少なくともぼくだけはそう思う。

ならば今年は「三度目の恋の夏」だ。
おろかなぼくらに、どうか神の祝福を!


2014年05月06日 13時53分

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