日本語のドレスコード

ぼくらが踊るために、今なにが必要か。

ずいぶんしばらくぶりの日記。

もうひと月も音沙汰なしで毎日なにをやってるかというと、ぼくはずっと新曲を書いている。

インスピレーション、ひらめき、霊感、着想。そんなものをずっと待っている。
少し例えに品がないけれど、「おなかを下してる時」の腹痛を伴わないバージョンだと思ってもらいたい。
それには波があって、とにかくいつ来るかわからないのでトイレの近くから離れられない。そんなかんじ。

とにかくぼくはそれを逃さないよう、いつもギターとパソコンの前にいる。
そして捕まえてはアイフォーンに吹き込み、それをポケットにつっこんで、またスタジオに向かう。のくり返し。

かといって、取り組んでるのは“ダンス・ミュージック”であるからして、夜、隙をみては遊びにいく。実地見聞である。

踊って、遊んで、それでもまじめにメモなんかとってる自分がつくづくアホらしい。

とにかくそんな、雲をつかむような作業をぼくはずっと続けている。
ダンス・ミュージックってなんだろう。

先日、実地見聞の最中ひとりの男の子に話しかけられた。

「志磨さん!『ダンスミュージックの解放』って、どういう意味なんすか!」

とにかく音楽がうるさいので少し端の方に行って、ふたりでしばらく飲みながらおしゃべりをした。

ぼくにもそれはわかんないのだ。

ブルースだってロックンロールだってソウル・ミュージックだって、ぼくが愛したそれらは全て「ダンス・ミュージック」と呼べるんだ。

しかしそれより、もっと過激なもの。
それより、もっとミニマルなもの。
それより、もっと先へ進むもの。

悲しみをかかえたまんま踊るロックンロールの、その先。

悲しみも、思考も、時間すらも、置いてってしまうようなもの。
もう体でしかわかんないもの。

それをぼくは「解放」と呼んでみた。


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さて。

京都磔磔でのライブを境に、いくつかの大きなニュースをキミに届けた。

レーベルの移籍については、今は迂闊に発言できないので話をそらそう。
磔磔のライブについて、少し。

あのライブは素晴らしく、まるで奇跡のようで、終わった後はみんな放心状態だった。神がかり的な、というヤツだ。
それでもぼくは、この4人で演奏をすればあれぐらいであたりまえの出来だと思っている。
ぼくはそんなバンドを組んだ。

陳腐な言い方になるけれど、やっとスタートラインです、というかんじ。
遅くなって申し訳なかった。


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そしてついに、夏の野音が発表された。
メンバー全員、これが初めての野音ワンマン公演である。

日比谷野外音楽堂というのはご存知のとおり日本の音楽シーンにおいて数々の伝説が生まれた場所だ。

それを、ぼくもこの目で見てみたい。伝説というヤツを、ひとつ作ってみたい。

なので8月17日にむけて、これからここできみにいろんなことを提案していくと思う。アイデアが欲しい。

この日を、ぼくらなりの夏の祭典にしたいのだ。
みんなで準備をして、みんなでこの日を迎えたい。

きみとぼくで、伝説というヤツをひとつ。


2014年04月29日 17時15分

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