ときに吹雪くほどの雪はまだ今もやまず、街はすっかり白銀の世界である。
足跡のついていない真っ白な道は、本当に美しい。
舗道の車線や段差も雪に消え、すべての境界線がぼやけた景色に、ぼくらは敬虔な気持ちでおそるおそる、しかし大胆に足跡をのこす。人間はこうでなくちゃいけない。
さて、前回の日記にたくさんのコメントが届いた。どうもありがとう。
毛皮のマリーズのベスト盤は現在、ぼくのアイデアをもとに信藤三雄事務所がジャケットの制作を進めてくれている。
ところで、世間ではクラシック界のスキャンダルが露見して大騒動になっているが、創作って実はほとんどがこうやって誰かと誰かのアイデアをかけ合わせて生まれている。経歴だって、古今東西のエンターテイナーには虚実入り混じった眉唾モノのサクセスストーリーがつきものだろう。
ただ、彼の場合、それが少しシリアスすぎただけなんだ。
まさかこの時代にあんなトリックスターにお目にかかれるなんて、ちょっと得した気分でもある。すべてのエンターテイナーよ、これにひるむなかれ!
あまりこの話題をひっぱってもオトナが困るので、次の話。
ぼくらドレスコーズが表紙巻頭を飾ったDONUT最新号が届いた。
42ページにわたっての、誌面の半分がぼくら(!)というまさかの大・大特集である(ポスター付き)。
「こんなバカな雑誌があってもいいと思って」とDONUTの森内さんはおっしゃっていたが、かっこいいバンドとは必ず人をくるわせるものだから、ぼくらにとってこれ以上の賛辞はない。
かつて、デビュー前だった毛皮のマリーズを同じように表紙巻頭で特集してくれた雑誌があった。
ぼくらにあとから追いつく評価は、同じ夢を見るフアンや関係者への評価でもある。こうやって「ぼくら」の分母を増やすのが、ロックバンドの正義なんだ。
他人のために暴挙に出るってのは、男から男への不器用な愛のことばである。
そうやって愛されることは、男に生まれたなによりの幸せのひとつだ。
ただひとつだけ言いたいのは、
インタビュー中、結成当初のぼくらがカヴァーした楽曲のなかに「アリスもやった」とあるが、正しくは“Alison”(エルヴィス・コステロ)です。
ぼくがチンペイでスガさんがベーヤンだったワケではありません。
今週は新しいメロディをいくつも捕まえた。アイフォーンの内蔵マイクはなかなかのスグレモノ。
水面下で進めている、もうひとつの作業もいよいよ佳境。
急にまた観たくなって、家ではずっと「サウスパーク」を観ている。1話から順に。
さらに映画をいくつも観たり買い物をしたり、の充実した一週間。